日本人にはキリスト教は分からないのか

あなたはこの作品を読んで、「これはキリスト(またはキリスト教)に対する冒涜(ぼうとく profanity;desecration)だ」と感じますか。
それとも、これは文学なので、特に違和感は感じませんか。

芥川にはキリスト教が理解できていないのでしょうか。

あるいは、日本人にはやっぱりキリスト教が分かっていないな~と思ったことがありますか?
今までのあなた自身の経験の中で。

3 件のコメント:

  1. どうして日本人はクリスト教が分からないかというと、歴史的なせいがあると思います。江戸時代から明治時代までクリスト教が違法でした。それから、クリスト教が変なイメージが出来たと思います。今には違法ではないけれども、そのイメージが残っているかもしれないんですね。

    日本宗教という授業では、隠れクリスチャンのことを勉強しました。その人々は長い間にクリストに信じていたが、牧師や聖典がないので、信じたものがどんどん変わりました。明治時代にクリスト教の牧師が外国から来ていたけど、その隠れクリスチャンの人々の考えに合えなかったそうです。

    でも現在の世界にはすべての信仰がどんどんなくなっています。日本でも仏教をちゃんと分かって、信じている人が少ないと思います。現在生活に合わなにくいかなと思います。

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  2. 何かの宗教をちゃんと分かるっていうことは、とても難しいことですよね・・・・。

    私は17年前に洗礼を受けてクリスチャンになりました。だけど今、自分の身体と心の中にキリスト教が入っているかどうか、自信がありません。ただ、キリスト教っていうロゴのTシャツを着ているだけかもしれません。Tシャツを脱いだら、いい加減な日本人のままの私かも。生まれ変わりたくて洗礼を受けた自分はどこへ行ったのかと思います。。。。って、これは全く自分の個人的な話でした。

    けれど、日本のキリスト教って、外国人の目から見れば「外国ブランドの高いかばん」か、「外車」のようなものに見えるかもしれないね。

    そして、そういう底の浅さを芥川は笑っていたかも。

    トイレに行けば「トイレの神様」がいる国だからね・・・。

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  3. I myself don't really know anything about any religions, but I don't feel that it really making fun of the religion, but it was making fun of the character herself that happened to be religious.

    Although I say that, I do still feel that it was a little out of place of Akutagawa to use religion so freely if he didn't understand anything about it, especially if his books had a strong influence on Japanese culture back then, and on the people themselves who also don't know much about religion.

    Using religion so lightly would probably not go in a book today in America. It would be the same as a certain character of a certain race and making light of them as well.

    In the end of this story though, her religion let her live a good and carefree life, so it wasn't like this story was making light of religion.

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